歩く仕事

JUGEMテーマ:難病に立ち向かえ!

 4月に、統一地方選挙があったが、バイトで、その広報配布を手伝わないかという話が舞い込んだ。

毎年、4月は、臨時や、少なめのシフトで入れられるような、緩いバイトしか入れていないのだが、今年は農業施設のバイトが平日全部に入っていた。例の「働き方改革」のせいで、長く勤めている人たちが一斉に休みを取った影響で、いつもは3月上ったら秋まで仕事の無い私にもヘルプが来たのだ。

 

 この公報の配布バイトは、もうずいぶん前から選挙や臨時広報のたびに受けてきた。このぐらいだったら、”歩き”の仕事は楽しい、と思ったものだ。3万歩以上歩いたこともある。いつもなら、二つ返事だ。しかし、今回は、ちょっと渋った。配布は3/31日曜でということだったので、日程には問題がないが、冬の間、車ばかり使っていて、しばらく歩いていない。自信がない。去年の9月3日、防災ハンドブックの配布をやって以来だ。1万6千歩ぐらい歩いているはずだ。3日後、神経難病と診断された。

 

 「一緒に、一人分を、半分ずつやりましょう」誘ってくれたのは、いつも選挙公報に配布の時に一緒に働くKさん。彼女も、ここ数年で事情が変わって長い距離歩けなくなった人。以前は二人でどこまでも頑張ったのに…Kさんは、私の2倍歩いていたと思う。彼女とまた働きたくて、OKした。

 

 しかし、9月に1万6千歩、歩けていたはずなのに、1万歩にも満たず、足が疲れて持ち上がらなくなってきた。配布が終わった時、万歩計は9千歩台だった。腿の付け根の関節と、ひざと、腿の筋肉全体が痛む。寒かったせいだろうか。

 関節なのか、筋肉なのか、どこが悪いのかわからなかったが、とにかく翌日から1か月、片足を引きずりながら、農業施設で働いた・

 

 この右足、不思議なことに、「歩く」以外のことは全部できた。朝のリハビリ体操は、ベッドの上であおむけ・うつぶせ・ひざ立てでの曲げ伸ばしが主だ。自転車にも乗れていたし、この時は階段も大丈夫だった。右足だけ、数センチ縮んだように感じられた。

土日を利用して温泉にも行った。2週間ほどたって、やっと「良くなるのかも」と思えてきた。腿の付け根の痛みが消えた後、さらに2週間ほどで、ひざの痛みも消えてきた。しかし、治るのに時間がかかりすぎる…しかも、関節が痛いような感じでもない。

 

 運動不足なのだと思い、近所のスーパーに行くときは、歩くことにした。病院でのリハビリ室で、作業療法士さんは、相手がスポーツ選手だと、ちょっと厳しい号令をかける。「あげるっ…あげるっ…も少しっ…」私は優しく指導されていたが、隣のバスケ選手はとても頑張っていた。あの、愛のこもった美声を思い出して、心の中で、「かかとから親指に抜けますよ。はい!かかと!かかと!」と自分に号令を出しながら歩いた。多分、スーパーに行ってから帰ってくるまで、7千歩ぐらい。

 

 ところが、夫が家にいた連休も去り、“緩いシフトのバイト”が入っていない日に4,5回歩いただけで、どうも足がよく動かなくなってしまった。状態としては、この暖かいのに、「厳寒の日に、スカートで、温かいタイツでもなくずっと外にいた日の夕方」みたいな傷み方。神経痛かな?っていう感じ。ひざ関節でもなく、股関節でもなく、筋肉痛でもない。

 

 入院した12月ぐらいから、ときどき、足のあちこちと手の指に、「キリッ」「ピリッ」って感じの、短い痛みが起こることがあった。

 そういえば、私はもうかなり腱反射がないのだった。

 

 明日、大学病院に行く日だ。何と言って聞けばいいのかわからない‥‥

 

 実は、5月の後半、もう一度広報配布に行く約束をしている。

 これが「歩く仕事」の最後になると思う。

 でも、どうすれば長く歩けるのか、可能性も探しに行ってみようと思う。ダメもとで。

 

 もう夜も遅いけど、少しだけ、ウォーキングしてこようと思う。

 

 

 

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