脳をデバッグしてください

JUGEMテーマ:難病に立ち向かえ!

 7月某日、朝、東京の家で下の子どもと何か話していた時のこと。突然、まあまあ強めの眼振が起きた。「あっ、眼振起きてる!ほらー」と、ちょっと面白半分に子供にガタガタと横に動く眼球を見せた。下の子はぎょっとして、「何それ、脳のバグ?」というので、うまいこと言うなと思って眼振起こしたままフフフと笑って「うん、そう、脳のバグ」というと、悲しそうに、「バグなら、デバッグしないとね」と言った。

 

 「そうだね…ん?前にも、眼振起こしてるとき、目を見せたことあるじゃん」と言うと、「前より全然強いじゃん」とやはり悲しそうだ。まあ、眼振起こしながらフフフと笑うおばさんの姿はそりゃショックだろう。それが、元気だった母親ならなおさら。驚かしちゃてゴメン。いきなり笑顔で眼振‥

「眼振はね、ほぼ毎朝起こしてる。めまいは、常に起こしてる。でも、こんな中で、生きてるんだもん」

 

 とにかく、このところ、めまいふらつきがなく過ごせているということがない。外を歩いて遠い景色を眺めてリセットすることが減った、このところの状況も関係していると思う。

 

 もう一つ、前から気になっていたが、やはり手首が硬くなっているように思う。リハビリの中に、四つん這いで片手片足を上げる「ダイアゴナルクロス」が組み込まれているが、私はこれが苦手でいつもチートしているし、やらない日もある。最近これをきちんとやろうとしたが、やはり手首が痛くてできない。手首が弱いんだと思っていたが、違うようだ。反り返りづらくなっているのだ。合掌したりしたまま胸の前で手のひらを押すと手首が痛い。

 構音障害も相変わらずだ。ことあるごとに顔の筋肉を動かしているが、やはり前のようにしゃべれる日は来ないんだな。

どの時点で「この先は障害が進まなくなる治療」あわよくば「元に戻れる治療」が確立するかな。私に間に合わなくても、今日発症した人には間に合ってほしい。しかし、せっかくいいところまで来ているように感じる創薬も、コロナのせいで後手になるのだろうか。

 

 とにかく、リハビリは、何とかして続けなくちゃ。何か工夫してみようと思う。

 

 それにしても、デバッグね。うまいこと言うね・・・「ほんとそれな」っていいたくなるわ・・・

 


 このアマビエが疫病ばかりか脳のデバッグまでもテレワークでやってくれたらサイコ〜なんですけどー

 

 

 

 

 

 

 

 

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行ってきた

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JUGEMテーマ:おでかけ・散歩

 

 7/5新型コロナウイルス感染者数が100人を超えだした東京に出かけた。緊急事態宣言解除を受けていくことにしたんだけど、もちろん、地元の自宅周辺の、特にアルバイト先の人たちからは、やめたら、と言われた。東京から帰ったら、2週間は自宅待機して出社しませんので、というと、「それもそうだけど、後遺症もあるらしいよ、簡単に考えない方がいい」…そうなんだ!ウィルスだものね。サイトカインストームの事もこの後に知ったが、やはり50歳の誕生日前後にかかった伝染性単核球症の事を考えずにはいられない。サイトカインストームによって、小脳変性が起きたのではないかと‥‥

 都内にいる間、とにかく、不要不急の外出はせず、どこに行ってもアルコール消毒とマスクの替えを心がけて過ごした。

 長引くテレワーク・Web授業に、都内で二人で同居中の夫も下の子も、家事なんかは、ちょっと投げ出してる状態だった。

 

 さて掃除しようと思っていたが、着いてまず頼まれたのは「手伝って」…下の子の、大学の課題のプレゼンテーションに使う立体模型の素材切り出し。Web授業で先生方も、「次の時間までやっておいて」と、どの授業も課題をたっぷり出されるので、追いつかないのだという。「いつもなら、これはやってられないと思う作業は要領よく省きながらするんだけど」学校の速度の速いマシンや便利な施設が使えず、ノートPC1台でこなしている状態だった。

 複視と老眼の目で、眼鏡を老眼鏡と拡大鏡をとっかえひっかえしながら、ちょっとだけ手伝った。まあ、あまり力にはなれなかった。

 掃除、食事、洗濯と、家事手伝いをして下の子の課題提出まで3日ほど過ごした。

 

 この後、「上の子に会う」を決行した。本当は、自分の子どもといえどもアポを取っていくべきだが、私の事を完全に避けており、「連れ戻される」と突っかかってきて、「お母さんは、病気だって言って一度無理やり連れ戻したじゃないか」私はそんなことしてない…しかしそう言って家を出た子だ。何か思い込みというか、思い違いがあるのだろう。会いに行ってもいいものか、家を出てからずっと迷っていて、朝、下の子が出かける駅まで送っていく途中で、今じゃないともう勇気が出そうもないと思い実行した。LINEに、そこに向かっていると書いた。最寄り駅まで1時間42分かかった。神奈川県…徒歩になってからは、グーグル先生にお任せだ。

 

 ピンポンを押すと、寝ていたような格好で出てきたが、ぎょっとしていた。そりゃ、そうだよね。「連れ戻す気はないけど、顔見に来ただけだから。」相変わらずフリーターらしい。ものの15分ほど話しただろうか。

 実は、私は、束縛する気はないので、恐怖心を抱いて苦しまなくてよいと伝えに来たのだ。この子が出ていく前、私は、自分では気づいていなかったが、子どもを一人前にしなくてはと気負っていたのだろう。もともと自由人である上の子には、一人前という枠は耐えられなかったのだ。帰り道で、「会えてよかった」とLINEが返ってきた。

 

 翌日から、突然数年ぶりに貧血状態になってしまった。あっかんべえーすると、目の下が白い。鉄剤を飲んで、ゴロゴロ横になっていた。体温計は、35度9分だった。夫が、なんと料理をしてくれた。咳などはないが、ただただ眠い。雨、雨、雨、気圧も関係あるかな、片頭痛もひどい。念のため、ロキソニンではなく、タイレノールAを飲んだ。

 

 2日ほど寝込んだ後、上の子が、お昼食べようか、密じゃないところでと提案してくれて、また1時間42分かけて神奈川まで行った。最寄り駅近場の商店街の、コメダでランチをした。子どもが今務めているバイトの話をした。

8月にはコロナによる契約切れでまた失業するんだそうで、次の仕事はもっと近場でしたいという。私自身は仕事をするのに、職場が変わるたびに胃が痛む方で、もうあまり変わりたくないと思ってしまうのだが、この自由人は次から次と渡り歩いているようだ。

 

 商店街を通り抜けるとき、この子が、「密は避けよう」と、人のいない方に案内してくれながら歩く途中、「今の枕、寝心地悪い」というので用品店で枕を買ってあげた。密になる時間の前に、帰らなくちゃね…私はコメダでSuicaの中身を使い果たしたことをすっかり忘れていて、自動改札でピーがなった。見送っていた上の子が、「あーやっぱ忘れてたじゃーん、きっと忘れるなって思ったよ」と言いながら、チャージ機の前まで戻ってきた。2年前に、西新井太師に連れて行ってくれた優しい上の子のままだった。

だが、この一年、何を聞いても返事がなく、時折短くとげとげしい言葉をLINEで送ってきたのも、同じこの子だ。

 この子は、この子のやり方で、大人になったのだろう。もう手放そう、思っていたよりはるかにちゃんとやれそうだし…私の目から見てちゃんとやれてなくても、人として許されざることを既にしたというのでもなければ何も言うことはないではないか。この子自身が、あちこちにぶつかって、痛い思いをしながら大人になることにしたのだ。

うれしくて、ずっと手を振りながら、改札の奥に入った。

 

 これでもう見納めかもと思っていた上の子との再会であったが、東京を去る直前に、もう一度会うことが出来た。「また家族4人で会える日は、もう来ないと思ってる」と神妙に下の子に話したので、夫と子ども達で気を使ってなんとか時間を合わせてくれたのかな…

 しかし、夜の街は危ないとさんざん報道されていたころだ、どこで会うか当日午前中までもめた。横浜とか、狭山とか、箱根とか、鎌倉とか、候補を上げたが・・・で、結局池袋サンシャイン…え!?

 人は決して少なくなかったが、エレベーターではみんな言葉を発しない。牛タン屋さんは少し時間が重なっている程度でほぼ一組づつみたいな…(お店側が意図してそうなったわけでは無かろう)。夫が見たがっていた水族館は、待ち時間を待つことが出来ないことで意見がまとまりキャンセル。まあ家族でお食事できただけで満足だ。外が暗くなったころ、電車が混む前に帰ろう、と話して、上の子と早々に別れた。この日は、上の子はほとんど夫と話していた。今回の旅で、わだかまりと焦燥が消えた。離れていても、思いやってる、ということがお互い確認できた、それだけなんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は池袋のキティちゃん お店の中でアイス買ってるかわいい若い子も数人いたが、やはりほとんどの人は食べ歩きに抵抗があるよね、このご時世。マスクもしてるし。やはり、この暑さでも、商売あがったりなのかな…。

 

 

 7/28今回は、帰りの高速バスを予約していなかった。自分も世の中もどんな事になっているか、予測が出来なかったから。高速バスも多分がら空きだと思ったけど、電車を使った。これが大変だった。乗り換えが多いんですよ、しかも、大雨でダイヤが乱れていたから乗り換え時間に余裕がない。トランクを持ち上げてできるだけ早足で…。しかし、体がなまっているのだ。東京にいる間、リハビリはさぼり気味になった。4,5日に1回ぐらいしかやってない。しかも、出歩かないようにしてた。いつもの私ならこのぐらいの乗り換え、なんともないんだけど、家に着いたら結構腰が痛くて、翌日から昨日ぐらいまで(一週間)ロキソニンテープ貼ってました。

 いま、「無症状で感染を広げるかもしれない元気な初老の可能性がある」私は、宅配品で生活しながら、自主的に自粛生活をしている。玄関先に、アルコールジェルも置いて。宅配配達の人も、うちにチラシ入れたりしてる人も、使ってね。

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また新しい先生

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  6/16大学病院の甲状腺内科を訪れた。セレジストが私の甲状腺機能低下症及び良性腫瘍に与える影響を経過観察してもらっている。血液検査の結果、「今までで一番正常」ということだ。一安心。担当医が、「私6月で異動なので」えー、またー?大学病院ってさ…「次はいつがいいですか…次からはまた別の医師が見ますけど。」

  ちょっとプライベートな話もした。「ご家族は東京にいるんでしたよね?」と聞かれ、「ええ、前の診察の後行くつもりだったのが、行けなくなりまして」と答えると、「僕も…家族のところに行けなくなりまして。」緊急事態宣言が出された都市に、家族が残されたまま、帰れないままで、異動の時期を迎えたらしい。そうか…普通のサラリーマンでも家族のためにと会社に言いづらいのに、お医者さんはもっとだろう。この若い先生なら、子どもさんがいらっしゃるとすればまだまだ幼いだろうに。先生、腫瘍や薬の事など、いろいろご心配頂きまして、ありがとうございました。

 

  この診療後、同じ日のうちに、リハビリ科の診察に行った。

強い眼振が起きた後、復活するまで何日もかかり、しかし今日現在、すっかりとはいかないが良くなったことを話した。「おうちに階段はありますか?…手すりはついていますか?職場の階段はどうですか?転んでませんか?」『うちの階段も、職場の階段も、手すりはついているが、電車を利用する際、階段で手すりを使わないわけにはいかない、コロナ感染も怖いので、この強い眼振の後杖の使用も考えた』というと、「杖、考えてみた方がよいかもしれませんね、とにかく、転ばないこと。」甲状腺内科といい、リハビリ科といい、ちゃんと話を聞いてもらえてありがたい。言われたことは、心にとめて、気をつけよう…

 

  6/19「どうせ話は聞き流されてるからセレジストを処方してもらうためだけ」のつもりで、予約通りの日程で大学病院脳神経内科を訪れると、何といつもの主治医ではなく、女性の医師の診察だった。昨年5月までの主治医の“名医”の先生が、新しい主治医は女性とおっしゃっていたが、実はこの先生の事だろう。前回まで見て頂いていた二人の先生と同じ病院から来たはずだ。やはり手法は同じようで、眼球運動や反射のチェックなどは全くない。「何か変わったことはないですか」と聞かれる。やっぱりね…と思ったが…

 

 「5月11日に激しい眼振が起きて、我慢してセレジストを飲んだのですが、やはりしばらくして吐いてしまいました。そのあと二週間ぐらい強いめまいが治まらなくて、そこからだんだん治まってきて、今9割ぐらい回復したと思います」と報告すると、うんうんとうなづいて、「一度強いめまいが起こると、戻るのに時間かかりますよ。セレジストにはそれを治める即効性はありません。…少しずつ進行はしていきますのでね」

(ここ一年あまりの主治医たちと違って話をちゃんと聞いてもらえることに驚いて、)突っ込んで聞かなかったけど、こういった強い症状は進行を速めてしまうのだろうか。

 

  もう一つ気になることも報告「手首、足首は毎日リハビリをしていますが、ちょっと筋肉痛のようになることがあります。掴まることが増えたせいだと思います」

 「少し、やりすぎかもしれませんね」…いやいや、それはない、たいしてやってないから。

  

  自粛ムードの頃、家から出にくかったし、行く先々のお店などが閉まっていてつまらないのでこもり気味になったら、めまいがひどくなったと思うと訴えると、先生はうんうんとうなずきながら、「外に出た方がいいです、出かけた方がいいです」

なんだかんだで、ここ一年で話したの神経内科の医師の中では、一番話を聞いてもらえたかも。去年の主治医交代から、毎回ここの脳神経内科に来るたびにもやッとして帰っていたが、この日はなんかちょっと納得して帰ってきた。吐き出せる、それだけでも違う。共感してもらえる、それだけでも違う。ずっと自分は強い方だと思って気たけど、共感してもらえた後に、何等か「治癒力が上がっている(気がする)」方に、今は一票入れます。

 

めまいがひどくて、座っている時間が増えた、でも、少しずつでもこのゴミ屋敷何とかしなくちゃね…作ってないキット、大量にあちこちにあるんですよ…まずは整理整頓からです。出来るのか?
 

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2/20鉄の彫刻を見に行った

JUGEMテーマ:おでかけ・散歩

 2/20府中市美術館を訪れた。今回の展示は、必ず行こうと思っていたものだ。青木野枝の、鉄の表現。人口なのに、自然を表現していたり、主張や感情の一点を静かに見つめているようなシンプルさに惹かれる。シンプルだが、簡潔とはちょっと違う、さびやいびつさやもろさも内包する、「人」が表現した「鉄の彫刻」

 

 

 

 普段、文化財監視の仕事も少しだがしているので、ちゃんとマナーを守って観覧、最初に撮影許可されている場所も受付で確認した。鉄の持つ朴訥さと青木野枝の繊細な感性がよく合っている。やはり、輪をたくさん重ねた彫刻が目を引いた。静かな美術館で、上りのエスカレーターが動くたびに音が鳴る。それがまた、静けさを強調していて何か趣すら感じる。

 

 はじめて青木野枝の作品を見たのは、国際芸術センター青森の中にある森の中の彫刻だった。あれからずいぶん経ったので、また経年変化があることと思う。私が見たときにはすでに森と一体化していたので、設置されてから年数が経っていたものだと思うけれど。

 国際芸術センター青森まで行ったのは、4年以上前だ。上の子を誘っていった。遠くまで、いやいやながらついてきた上の子は、疲れたといって、一つも展示を見ることなく喫茶室で携帯をいじっていた。この子のために、いったい何をしてあげられるのか、私は悩んでいた。毎日部屋にこもってオンラインゲームをする日々。そしてこの翌年、ふっと家からいなくなってしまったのだった。一度は戻ってきたものの、またいなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、2/21妹を誘って、赤坂見附の「しろたえ」にいった。その前に、赤坂見附駅にて妹が予約してくれたお店でランチ。お店の名前を忘れてしまったのだが、古民家風の小さめのお座敷で、満足なお料理、そしてほんの小さなお猪口に日本酒が付いてきた。うれしい、この量ならきっとお酒も大丈夫。とってもおいしかった。

 

 目当ての「しろたえ」は、外まで人が並んで溢れていた。この日は喫茶室で食べていく方が人が早くはけて、さほど待たずに中に入れた。

しろたえのケーキ、ン十年ぶりに食べた…このチーズケーキばかり食べていたころもある。妹は、記憶にないというが、何度か食べているはずだ。調度品も、昔のままだ。母と食べていたような記憶がうっすらとある。母にとって、「理解しがたい私」と、何とか時間を作ろうと、努力していたのだろう。そのうち、努力は無駄と投げ出されてしまった感じがある。妹は、素直で母とも相性が良かったので、今でもよく出かけるようである。私にはできない。でも、ここのケーキを食べている間、母の事を少し思った。そして、私が暗闇の中、手を伸ばしてもその手を振り切って消えた上の子どもの事を思った。

 2/27地方の自宅に一人戻った。いい大人になった子供に、無理やり会うなんて難しい。東京にいた1か月の間、ずっとラインで上の子に会えないか聞いていたが、“未(見)読無視”だった。


赤坂見附のかわいい消火栓

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ソーシャルディスタンス前の、友との再会を果たせた話

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 2/2夫の海外赴任についていたころ知り合った友人と、吉祥寺で待ち合わせた。佐藤可士和さんデザインの、有名なユニクロのディスプレイの見える場所の近くだったが、ちょっと思っていた場所が間違っていて、早く駅についていたのに、待ち合わせには遅れてしまった。

 外国の素敵なものが大好きな私の世代のツボをついた、ロシア料理のお店。LINE電話で何とか連絡を取り合いながら、彼女に会えた瞬間、時が一気に戻って感動してしまった。

 海外赴任していたというと、私世代の奥様方は何か勘違いしてしまわれるのだけれど、まあ色々です。同じなのは、サヴァイバルを生き延びた感じ。私たちがいたタイは、平和で素晴らしい国だった。しかし、何とか生き延びるっていう感覚は、常について回ってた。そして、帰国して思うのは、人生はサヴァイバルってことだ。何度タイに戻りたいと思ったことか。しかし、あの頃の私たちは、あくまで海外駐在中の外国人としてみたタイランドだ。おいしいところしか見てはいない。夢の国なのだ。そんな夢の中でも、日本人同士の小競り合いやらなにやらも起きていた。夢の中でも「現実は甘くない」のだ。

 

 美味しいロシア料理を前に、近況報告をした。まず、私は構音障害があることをお断りしないといけない。酔っ払いみたいなしゃべり方が時折出たり、声量のコントロールが時折できないこと…しゃべりのもたつきは、時折じゃないな、ほぼもたついている。

しかしそんなことはおいしい料理と気の置けない友の前ではお構いなしな気がした。最高だ。若いときみたい。

 

 

お店の名前は、「カフェロシア」

ボルシチは優しくて、ピロシキの中のキャベツはザウアクラウトを使ってあった。
 

 

今あのお店はあのままの席の配置で営業しているとは思えないが、ソーシャルディスタンスなんて考えられないほどつめつめの席で、それでもロシアの異国情緒に少し気持ちを寄せながら、デザートのケーキまでいただいた。

 

 

 この店を出た後、又吉直樹も通ったという「武蔵野茶房」に案内してもらった。病気の事や、通院と、車と住宅の維持のためには私まで東京に移住してしまうわけにはいかないことなどを話した。それと、私はクラフト市が大好きなのだが、やはりこれが楽しいのは地方住まいの特権のように感じていることも。友人も、転勤で京都にいたころ、クラフト市が楽しかったと言った。とりとめもない話の途中、「実は」と友人が話し始めた。いつも検診で見てもらっている病院で、「気になるから、大したことないけど取る、今大急ぎで取っておけば大丈夫」と言われて取った内蔵組織が結局がんだったそうだ。しかしごくごく初期で、転移もなく、その意識すらないままの手術ですべて片が付いてしまい、ラッキーだったと語っていた。相変わらず、冷静で、前向きで、優しい人だ。こんな人も、病気は容赦ないが、この人がこれで済んでよかったと心が震えて泣きそうになった。病気は自分だけで十分だ。

 別れが名残惜しかったが、まだまだ何度も会えるはずと自分に言い聞かせて手を振った。

バレンタインが近いからとお土産にもらったリンツのチョコレート、家で夫と下の子と食べたが、この甘さ、おいしさにしみじみと、友達がいる幸せを感じた。

 

 


 

 

 

 後日、バレンタインに、夫と子ども二人に、リンツのチョコレートを渡そうと思い、また吉祥寺を訪れた。今度は一人だったけど。リンツのお店の前で、包みを半分開けたチョコレートを配っていた、今じゃ考えられないけど‥。やはり、おいしかった。ついつい予算以上に買っちゃったよね。

 

 

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コロナが広がるちょっと前の頃、川越お散歩

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 1/27から2/24朝まで、また東京で過ごした。

 

1/27文化財監視の仕事を終え、家でばたばた荷造りした。バレンタインチョコをいろいろ買っておいていた。チョコレートを買いに出た際、「帰ってきたとき、いつもみたいに、花粉症用マスクが子供サイズしかありませ−んとかなるの嫌だな」とふと思い、マスクを余分に買っておいていた!チョコの方は、ボードゲームでもして家族で争奪戦をしようと目論んでいたが、何と荷物に入れ忘れた。

 そんなこんなで、深夜バスに乗り込んだ。DQWの犲宅″設定を、私は東京までの高速バスでいつも楽しみにしている休憩場所のそばのロータリーにしている。まだ、そんな風にのんきだった頃だ。

 

 まだ、コロナウィルスが武漢だけのものかのような報道がなされていいたころだ。夫は、中国人の友人にマスクを贈ったのに届かないとやきもきしていた。

 

 夫と、本川越に出かけた。子どもを連れないでデートに行くなんて、まず二十五年ぶりぐらいじゃないだろうか。あ、たまにラーメン食べに行くのに付き合わされたり、銭湯行くのに付き合わされたりはしてたかな‥デートじゃなく、猴丹″

 


 

 TVで西武線の駅紹介番組すまいるスキップの川越案内を以前、夫が見たらしく、なんか、川越って、行ってみたいねえと前から言ってはいた。小江戸っていうくらいだし、面白いかも。黙って西武線乗ってれば着くんじゃない?ってことになった。「シントコまでは行ったことあるけどねえ(30年以上前だが)ちょっとっ距離あると思うよ」と話したが、…まあ、てくてく夫婦で行くことになった。2/2(日曜日)の事である。西武新宿線に乗り換えてからしばらくかかったが、途中富士山も見えて、なんか思ったより近くでお得な小旅行だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 おそらくいつもなら、中国人観光客が沢山訪れていたはずだ。しかしこのころすでに武漢は大変なことになりかかっており、外国人観光客は少なかった。2月にしては薄手に感じるレンタル着物をまとった若い女性たちも、日本人の女の子たちである。自分の家から着るのだったら、羽織か道行か、またはかわいいショールがあってもよかったような2月…でも、確かにお天気は良かった。

擬洋式の素敵な建物と、純日本式の渋い建物が立ち並ぶ。車がすれ違うのに申し分ない道幅と舗装のきれいさ。観光を意識して道路を整備したのだろうか。


 

 ただ、路地を入ると一転、道幅が狭くなる。そういった小路に、なぜか人が並んでいるところがあった。サツマイモの大きなチップスに、ディップをつけて食べるという、食べ歩きファストフードおやつが売られていた。映える?確かに、おいしそう、と思って夫と並んで買ってみた。…ぱりぱりした食感が好きな人向けですね。芋の、「芋感」が好きな私は、スティックだったほうが好みだったかな。夫も、「若い人たちには美味しそうだけどな」でも、あれだけ並んでいるのなら、好きな人多いのでしょう。ベーグル屋さんのベーグルも、二人で食べ歩きした。小腹がすいていたので、この食べ応えがあるベーグルは美味しかった。

 

 がま口を色々取り揃えているお店や、手仕事の見事なカバンのお店も…

 そして、「時の鐘」…通りの街灯のデザインも風情があった。半鐘と、この消火栓の柄デザインを見れば、かつて火事に悩まされた街なのだと分かる。


 

 


 

 

 小江戸川越の小さな旅だったが、この時はふらっとさわりを見た感じに終わった。蔵の多さ、日本家屋の商家の顔と擬洋式の金融機関や公共施設と思われる建築物の顔など、これはなかなか奥深そうだ。もうちょっと下調べをしてから来ればよかったな…その場でスマホを当てにしていると、「濃いもの」に出会ったときの情報を予習できていなくて時間が有効に使えない、特に老眼の私には。

 

 夫とサツマイモチップス分けっこして食べ歩きなんて、今度いつできるのだろう、きっともうできないに違いない。このひと月後には、もう東京に戻ることすら出来なくなったのだから。

 

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庭に子猫が!

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 前回の強烈な眼振の後、そろーりそろりと暮らしていたが、雑草も伸びるし、ゴミ捨てにも行かなくてはならない。まっすぐ歩けないまま、自分を励ましながらなんとか暮らしてきた。一度強いめまいを起こしてしまうと、ちょっと発作的なめまいが起きやすくなるように思う。今も、コピー機の電源を覗き見ただけでぐらっときた。掛時計がこのタイミングで止まってしまったが、上を見上げて抱えて外すことはできない。これは、もう少し待とう…

 

 5月18日、何気に窓を開けたら、なんと庭に子猫が二匹いた。すぐに庭に出てみると、ガーデニングに使ったり、冬の雪囲いなんかに使うための粗材をまとめて立てかけている、隅っこの隅っこの板の陰に隠れている。庭に降りてみたら、二匹じゃなくて三匹いた。すぐに動物好きの下の子どもに写メを送って報告した。飼えば?飼おうよ!飼うよね?みたいな反応だったが、よそで買われているものが迷い込んだ可能性が否定できない。おなかがすいている風もない。野良にしては元気できれいだ。

 案の定、夕方そっともう一度庭を見たらいなくなっていた。と、思ったら、母猫が来て子猫たちを避難させていた。ベランダ下の死角に誘導して、塀の切れたところから子猫を外に出している。私の視線に気づいてシャーっと振り返って威嚇する。母猫もきれいだ。誰か餌付けしているのか。

 子猫たちはとても素直に誘導に従って出て行った。行っちゃったか…

 

 ところが翌日、猫たちはまた庭にいた。スマホを持って、草取りしながら動画を撮って子どもたちに送った。なんて小さいんだ!なんてかわいいんだ!でも、警戒する猫たちに申し訳なく、草取りも半分ぐらいでやめて庭を猫たちに渡した。下の子は、ついにペットの飼える物件探しまで始めた。私が猫を連れて行ったとき、一緒に過ごせるようにと…夫は、そういうことかーひとり暮らしでもいいよーと、「自分は猫とは住みたくない」意思を消極的に伝えてきたらしいが…

 午後過ぎ、猫の気配はなくなった。この辺りは、この日朝から強い風が吹き、夕方から強い雨が降り出した。かなりの嵐だ。猫の親子はどうしたろう、心配だ。側溝に隠れていて流されでもしたら…だが、あの毛並み、餌付けされているところに避難しているかも‥‥

 18:30頃、にゃあにゃあ声がした。お母さん猫が、大嵐の中、子猫を誘導しているのだ。うちの庭にはいなかった。雨が降り出したころ、粗材を、改めて強い風でも倒れないようひもで縛って、雨がよけられるように斜めに立てかけておいたのだが、そこにもいなかった。。

 

 このお母さんなら、子猫たちを守り切るに違いない。うちの庭で多頭飼育崩壊を起こしてもまずいし、飼えないにしても避妊手術に連れてこうかななんてさっきはまじめに考えていたが、よそ様の猫かもしれないし、もう忘れよう。

 

 しかし、毎日庭を見る。もう声がしない。そして、今日はちょっと座って立ち上がるにもめまいがひどい。昨日はまあまあ良かったんだけど…明日もまあまあ良い状態であることを祈る。

 

 強い眼振が起き始める前に作っていたマスク。材料は、Can★doの手ぬぐい、セリアのガーゼタオル、キルト屋さんでつい買っちゃったカットクロス。ガーゼタオルの物を最初に作って、もうかなり何度も洗った。毛玉だらけです。もっとたくさん作ったけど、何個かは寿命となり、後は配ってしまった。

 

 

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酷い眼振が起きて

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 5/11日(月)朝ひどい眼振が起きていた。原因はわかっている、寝不足だ。4月いっぱいで農業施設のバイトの春の契約期間が一旦終了し、そのあとは家の中にこもり気味となった。本当は、連休中に夫が自宅に帰ってきて、夫が東京に戻ってすぐ私も東京に行く予定だった。緊急事態宣言が出て、4月中には移動は出来なくなっていたが、こんな田舎までステイホーム状態になってしまうとは…想定外だが、しょうがない。コロナが治まるまでは、耐えねば。

 家で連日、夫と子供の為に、それに自分の仕事用に、マスクを作っている。でも、飽きてきてしまい、一日1,2枚と言ったところか。あとは、テレビを見て、ストレッチして、たまにウォーキングして…本当は掃除したいと思っているのに、めまいが怖くて、気付けば椅子に座っている。

 

 先週の土日、昼夜逆転気味だった。なんやかんやで、朝の3時までミシンをいじったりDVDの整理をしたり‥

 そうして、月曜日、朝7時30分頃、仕事がある日ならもう車に乗る準備をしている頃。

 いつものようにリハビリストレッチを始めたが、寝不足なので体が目覚めてこなかった。体制と変えようと頭を右から左に回したところで、激しい眼振が起き始めた。ひどいひどいと思いながらもメニューをこなして、何とかこれを治めなくちゃと思い壁伝いに歩いて台所で水を飲み、セレジストを飲んだ。食べ物が入っていく気がしない。しばらくじっとしていたが、服用してから30分ほどたったところでもう駄目だと観念し、洗面台までたどり着いたところで何度も嘔吐した。水しか飲んでいなかったせいか、胃液は出ていなかったが、高価なセレジストを無駄にしてしまった。

 

 先月、仕事中に、腰回りや腹部に違和感を感じ、大学病院の主治医を訪ねた。予約の日ではなかったので、もちろん職場で電話を入れて、仕事を早退して向かった。主治医に言われたことは、「どうせ筋肉痛でしょ、ほれ背中出してみなさいよ。湿布出しますか?ここはそうやってくるところじゃない、個人病院に行って紹介状持ってくるところなんだよ」笑ってたけど、・・・私は尿検査してほしかったんだけど、言えなかった。上の子を不登校にしてしまった小学校3、4年の時の担任の女の先生を思い出した。あの先生は、もっとひどかった。

 

 前の外来の主治医も、入院の時に主治医になってくださった先生も、小さなことでもすぐ電話してと言ってくれていた。

 今の主治医には、強い眼振で激しい嘔吐が起きても、相談する気にならない。自分で何とかしよう・・・

 

 翌日火曜日、少し食欲も出てきた。前日はおかゆとレトルトの豆ポタージュしか食べられなかったのだが、野菜も少し食べた。水曜日には、もう食べ物は元に戻っていた。しかし、強いめまいが取れない。木曜日は朝から銭湯に行った。サウナがある、いつも夫と行く温泉だ。仕事があるときは、ちょうど帰り道の途中にある。サウナでじわっと頭が温まると、少しいい感じになった。午後から、友人宅に行ったのだが、車をバックして切り返すとき、石塀に少しこすってしまった。1cmぐらいの擦り傷が付いた・・・危ない、やはりなんかしっかり小脳が働いてないかも。今日も、寝ては起き、起きては寝て、体は疲れていないのに眠くてたまらない。眼振も怖いし、めまいも起きている。掃除したいが、まだ怖い。コロナも怖いけど、このめまいがこんなにも何日も治まらないのも怖い。

 

明日からは、ちょっと積極的に体を動かしてみることにする。

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ゆっくりと時間は過ぎゆくが

JUGEMテーマ:難病に立ち向かえ!

 1月29日から2月24日4朝まで、東京で過ごし、自宅に戻った。その後、3月1日から4月いっぱいの契約で、農業施設のバイトに行っている。5月は連休明けからまた東京に行くつもりのスケジュールだったのに、あっという間にコロナの影響で、何もかも変わってしまった。サブでやっている文化財監視の仕事は、土日と連休に入れていたものがすべて無くなった。

 5月は時間がありそうなので、2〜4月の事をゆっくりここに書けたらいいな、今日はなんだかあまり筆が進まない。家で何もしていない。オパール毛糸のデミグラブの続きを編もうとしたら、見意義と左のリブの長さが3段分違うことに気づいた。4号針で3段は結構違うけどどうしよう・・・以前は問答無用でほどいたけど、最近はもう一回編む気力も自信もない。指がもたついてきているので。

 

 マスク作ろう…今から。先々週のつくりかけがある。

 

 

ずいぶん前に編んだ方のデミグラブです。実は、下の子どもの為に編んだのだが、親指がなかったものに、都内にいる間に親指を編み足した。今また別の糸で編んでますけど、いつできるのかは不明…

 

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新年あけましておめでとうございます。

JUGEMテーマ:難病に立ち向かえ!

 あいだがあいてしまいましたが、何とかいつも通りに暮らしています。

セレジストも、10月から再開した。

…少し担当医と言い合いした。

  私「これしかすがるものがないのに」

  医師「でも、私が甲状腺内科医から受けた報告では、腫瘍の肥大を避けるために中止すべきと」

  私「そこは甲状腺の先生と私がお会いした時クリアしたはずですが」

  医師「何もそこは報告ないですよ」…「おっとここに書いてあった…」

 

 

甲状腺内科医の診察があったのは、二か月前。この先生方は、何を見てるんだ‥しかし、この日のこの診察は、若い方の先生。頼りなさげだが、奥の診察室で、認知症と思われる患者さんに「どっちがいいんですか」と大声で話しているえらい先生よりましな気がしてる、まあ他の患者さんの診断事情は私が言うことじゃないけど。

 

 ”若い先生”に、「私は孤発性だと思っている、その根拠を、前の主治医から聞いているから。遺伝子検査をするべきだったと今は思っている」と話すと、J−CATへの登録を勧められた。

12月、”若い先生”にIDとパスワードを渡した。今月末、血液採取があるかもしれない。

 

 今回の年末年始は、家族そろって東京で過ごした。私は12/27高速バスで。上の子は神奈川から電車で、下の子と夫が暮らす「東京の家」へ。おかげで、普通に年末のかまぼこを買い求めるスーパーの行列にも並んだし、初めて電子レンジを使って茶わん蒸しも作った。高円寺の古着屋に家族で出かけて、上の子に服と下の子にかばんを「お年玉」として買った。

 

 私が病気と分かるまでは、夫はこんな買い物に付き合う人ではなかった。「まだ待たせるつもりか」とイライラして怒り出し、何も見ずに帰る、みたいな。でも、今年は、この限りある時間を家族で大事に過ごした。

 

 

 お願い、ずっとこうしてお正月ぐらい一緒に過ごさせてください。初詣は西新井太師。上の子が生まれてから買った車の「お祓い・安全祈願」も、ここでしたのだった。

 テキやが並ぶ中、ケバブロールとたこ焼きみたいに味付けした揚げもちとべビーカステラを食べた。おみくじは大吉だった。

 

 文化財監視員の仕事始めが1/5だったので、1/4にはまた高速バスを使って家に戻った。都内でも、バス内でも、DQWしながらね。

また、行かなくちゃ。

nishiaraitaisi

いい天気だった。一昨年上の子と来た時にお参りした、延命水洗地蔵にも行った。あの時はあちこち工事中だった境内も、すっかり整っていて、美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、複視と眼振が進んでいることを感じる。それと、右手の指の鈍さも進んでいる。怖くなって、リハビリボールをころころやりすぎて、一昨日まで腱鞘炎気味だった。

12月にリハビリ科で右足の不調を訴えたところ、私の歩きをチェックしたリハビリ科の医師は、「これは進行じゃなくて、体のバランスの問題だね」と言っていた。

DQWとお散歩するとき、意識して姿勢を良くしたり、小走りを取り入れたら、右足の不調は軽減した。だが、調子よく歩こうとしているとき、何度か突っ張ったり、逆にカクっと膝が抜けることが出てきた。でも、悪あがきする。私は、家族の、何もできなくてもいるだけでいい「お守り」になりたい。

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